東京高等裁判所 昭和52年(ネ)3219号 判決 1980年11月19日
昭和五三年(ネ)第一二二号事件
控訴人
新藤昌弘
昭和五二年(ネ)第三二一九号事件
控訴人
上田薫
右同
控訴人
坂東安正
右三名訴訟代理人
藤川成郎
昭和五三年(ネ)第一二二号事件
控訴人
明野産業株式会社
右代表者
小林方八
右訴訟代理人
堀内茂夫
昭和五三年(ネ)第四四号事件
(旧商号大和興産株式会社)
控訴人
大和地所株式会社
右代表者清算人
中村忠純
右同
控訴人
横溝照雄
右同
控訴人
久野松子
右同
控訴人
小柴きく代
右同
控訴人
松田睦子
右控訴人横溝、久野、小柴、松田訴訟代理人
中村忠純
被控訴人
吉沢甲子太郎
右訴訟代理人
植松博一郎
同
山崎博太
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
第一 申立
一 控訴人ら
主文同旨の判決
二 被控訴人
控訴棄却、控訴費用控訴人ら負担の判決
第二 当事者の主張
一 被控訴人の請求原因
1(一) 吉沢久吾作(以下「久吾作」という。)は明治四〇年頃長野県南佐久郡南牧村大字板橋字小丸の地区のうち別紙図面A、B、C、D、E、F、G及びAの各地点を直線に結んだ部分の土地(61―ハ(62―57)と表示された部分の土地、以下「本件土地」という。)の所有権を取得した。
(二) 久吾作が本件土地の所有権を取得した原因事実は次のとおりである。すなわち、
(1) 南佐久郡南牧村大字板橋字小丸及びこれに隣接する字茶堰の地区において、明治四〇年頃旧来の甲州街道の位置を変更して新甲州街道(現国道一四一号線)を開設するため、同街道の周辺に居住していた数名の者の右両地区に所在する所有地がその道路敷地として長野県に提供されることとなつたので、その頃沿道の右両地区の各土地所有者がその犠牲(いわゆる潰れ地)を公平に分担し、併せて区画を整理する目的で各所有地につき関係者間で集団的な交換分合が実施された(以下これを「本件区画整理」という。)。そしてその際、右区画整理に基づき区画整理図(以下「本件整理図」という。)が作成され、板橋財産区で保管され今日に至つている。
(2) 久吾作は本件区画整理以前は、本件土地の北側に隣接し別紙図面広瀬用水の東側沿いに細長い形状の土地(登記簿上宇板橋六一番八号田三反歩と表示、以下「久吾作従前所有地」という。)を所有していたが、本件区画整理により右土地の位置が本件土地の位置に定まり、すなわち、右土地を他に譲渡し、その代替地としてその所有者から本件土地を譲受けて所有権を取得した。そして本件整理図上本件土地は「六一―ハ」と表示された。
2 久吾作は大正八年に至り本件土地を川上広之助に売却し、其の後本件土地は株式会社六十三銀行(競落)、同八十二銀行(合併)、山川合資会社(売買)と転々し、昭和一九年に至つて国(陸軍省)が演習場として買収し、終戦後農林省に移管された。
3 国(農林省)は被控訴人(右久吾作の孫に当る。)に対し、昭和四八年二月一日付をもつて農地法六一条により本件土地を売渡し、被控訴人は右土地の所有権を取得した。
4 しかるに、(一)控訴人新藤昌弘(以下「控訴人新藤」という。)は、昭和三八年一二月一五日三井睦夫から本件土地を買受けたと主張し、控訴人上田薫(以下「控訴人上田」という。)及び同坂東安正(以下「控訴人坂東」という。)は同四四年五月一日、控訴人新藤からそれぞれ本件土地の持分三〇分の三、三〇分の二を買受けたと主張し、控訴人明野産業株式会社(以下「控訴人明野産業」という。)は同四六年一二月二九日、控訴人新藤、同上田、同坂東から本件土地の各持分全部を買受けたと主張し、控訴人大和地所株式会社(以下「控訴人大和地所」という。)は同四七年一月一三日、控訴人明野産業から本件土地を買受けたと主張し、控訴人横溝照雄(以下「控訴人横溝」という。)は同四七年五月九日控訴人大和地所から本件土地を買受けたと主張し、控訴人明野産業は同年五月一一日控訴人横溝から本件土地を買受けたと主張し、控訴人久野松子及び同小柴きく代は昭和四七年五月二〇日本件土地の一画五二三平方メートル(登記簿上、字小丸六二番一八)につきそれぞれ共有持分二分の一宛を買受けたと主張し、控訴人松田睦子は同月二五日本件土地の一画一八四平方メートル(登記簿上、字小丸六二番四九)を買受けたと主張して、被控訴人の本件土地の所有権を争い、かつ、(二)控訴人らは、本件土地内に立入り、また主として控訴人大和地所が本件土地内の立木を伐倒したり砂利を搬入して道路工事を実施し、区画をつけて木柵を設置したり、住宅等工作物を建設するなど、本件土地の分譲計画を現に推進しつつあり、本件土地に立入つている。
5(一) ところで本件土地はもともと公簿上大字板橋字小丸六二番ロ号畑一反歩の土地の一部であり、別紙図面A、B、H、I及びAの各点を直線で結んだ部分の土地(62―ロ(62―1)と記載された部分の土地、以下右部分の土地を「甲地」という。)と本件土地とを併せた土地が右六二番ロ号に当るものであつたが、昭和三八年一二月二六日、右六二番ロ号の土地につき、同字六二番一山林一反歩と地番地目の表示変更登記がなされ(なお後日右土地につき錯誤を理由とする大巾な地積増加の更正登記が経由された。)、その後分合筆がなされて、現在本件土地は公簿上原判決添付別紙第一及び第二目録記載の土地となっている。
(二) 控訴人らは本件土地につきそれぞれ前記4(一)の主張のとおりの売買を原因として原判決事実摘示中「参加人(被控訴人)の請求の趣旨」の欄記載の所有権取得登記名義を有している。
6 よつて被控訴人は控訴人らに対し、本件土地の所有権に基づき、原判決事実摘示中「参加人の請求の趣旨」のとおり本件土地の所有権確認、本件土地への立入禁止等並びに所有権移転登記等の抹消登記手続を求める。
(右において引用の限度で原判決の事実摘示及び同添付別紙を引用する。)
二 請求原因事実に対する控訴人らの認否
1 請求原因1(一)の事実は否認する。同(二)(1)の事実は否認する。同(二)(2)の事実中久吾作が久吾作従前所有地を所有していたことは認めるがその余の事実は否認する。なお本件土地の所有者は後記のごとく三井仙次郎であつた。
2 同2の事実は否認する。被控訴人の主張する処分等の対象たる土地は久吾作従前所有地にほかならない。
3 同3の事実中被控訴人が久吾作の孫に当ることは認めるが、その余の事実は否認する。被控訴人の主張する売渡の対象たる土地は右久吾作従前所有地にほかならない。
4 同4(一)の事実は認め、(二)の事実については、控訴人新藤、上田、坂東、明野産業においては否認し、その余の控訴人らにおいては認める。
5 同5の事実は認める。
三 控訴人らの抗弁
仮に、被控訴人の主張するように、久吾作が明治四〇年頃本件区画整理により本件土地をその前主から譲渡を受け、久吾作から国(農林省)に順次譲渡等がなされ、被控訴人が国から売渡を受けたとしても、本件土地は甲地と共に六二番ロの一筆の土地として明治四〇年頃の本件区画整理以前から三井仙次郎(以下「仙次郎」という。)の所有であつたが、仙次郎は昭和二七年三月二七日死亡し、三井睦夫はその子として右上地を同人から相続したものであるところ、控訴人新藤は右睦夫から、昭和三八年一一月三日甲地、同年一二月一五日本件土地(甲地及び本件土地は右当時すでに非農地であつた。)を買受けたものであり、その余の控訴人らは被控訴人主張の請求原因4項のとおり順次本件土地ないしその一部を買受けたものである。従つて控訴人新藤は、本件土地の所有権を取得したとする久吾作ないし被控訴人のその対抗要件たる登記の欠缺を主張するについて正当な利益を有する第三者であるから被控訴人は登記手続を経由しない限り本件土地の所有権の取得を、控訴人新藤及び右新藤から善意で登記簿記載の登記原因のとおり転得したその余の控訴人らに対抗しえない。
四 抗弁事実に対する被控訴人の認否
抗弁事実中仙次郎が甲地を所有していたこと、三井睦夫が仙次郎を相続したこと、右三井睦夫が甲地を控訴人新藤に売渡したことは認めるが、その余の事実は否認する。
五 被控訴人の再抗弁
仮に控訴人らの主張のように、本件土地がもと仙次郎の所有の六二番ロ号の土地の一部であつて、同人を相続した三井睦夫が甲地と共に右土地をも控訴人新藤に売却したとしても、
1 本件区画整理は、耕地整理法、土地改良法あるいは土地区画整理法による交換分合あるいは区画整理でこそないが、前記のように公共道路の開設という地域的公益事業の一環として実施された公的な土地区画整理というべきであるから、いわば換地として本件土地の所有権を取得した久吾作及びその承継人たる被控訴人は、右土地の前主たる仙次郎及びその相続人たる睦夫に対してはもとよりその特定承継人たる控訴人らに対しても登記なくして本件土地の所有権を主張しうるというべきである。なお本件区画整理に伴なう登記及び公図の整備訂正の作業は現在進行中である。
2 本件区画整理後、今日迄永年に亘り本件整理地区における各所有地の物権変動は、本件整理図に基づいて引渡がなされ、登記については、登記簿、公図の訂正がなされないため、従前の所有地の登記簿についてなされてきたものであつて、右方法は右地域においては法的慣行の程度に達し、各住民は異議を唱えることなく右方式に従い順守してきたものであり、控訴人新藤もこのことを十分承知しながら、公図の不備(明治三三年作成の公図では六二番ロ号の土地は本件土地を含むように記載されていて、本件区画整理後の現況に合致しない)を奇貨として、不正に本件土地を侵奪すべく、三井睦夫に本件土地をも売らせたのであるから、その契約は無効であり、控訴人新藤は背信的悪意者でもある。よつて被控訴人は登記がなくとも控訴人新藤及びその特定承継人であるその余の控訴人らに本件土地所有権取得をもって対抗することができる。
3 本件土地の従前地たる前記六一番ハ号の土地の登記簿上の所有名義は久吾作から前記請求原因2項のとおりの経過で国が取得し、昭和二六年三月三〇日自作農創設特別措置登記令一四条一項により登記簿が閉鎖されたが、本件土地の売渡に当り、昭和四七年七月二八日国(農林省)は右従前地について新たに登記簿を開設し、右土地を字小丸六二番五七原野一〇六〇三平方メートルの土地として所有権保存登記をなし、同五一年八月一〇日被控訴人に対し農地法六一条の規定による売渡を原因とする所有権移転登記を経由したから、被控訴人は本件土地の所有権の取得につき対抗要件を具備したものというべきである。
なお仙次郎を相続した三井睦夫が昭和二七年一二月一日甲地及び本件土地を六二番ロ号(同三八年一二月二六日六二番一と地番変更)の土地として保存登記をなし、控訴人らに順次その所有名義が移転されたとしても、本件整理地区内における対抗要件についての法的慣行は前記のとおりであるから、国名義でなされた久吾作従前所有地についてなされた右六二番五七の保存登記及び所有権移転登記は本件土地の所有権の取得の対抗力に関する限り、右六二番一の登記に優先するものというべきである。
4 三井睦夫と控訴人新藤は、昭和四〇年六月ころ本件土地の売買契約を合意のうえ解除した。
六 再抗弁事実に対する控訴人らの認否
1 再抗弁1、2の主張は争う。
2 同3の事実のうち、その主張する六二番五七なる土地につき新たな登記簿が開設され、国(農林省)名義の所有権保存登記がなされたうえ、国から被控訴人に対し農地法による売渡を原因とする所有権移転登記が経由されたことは認めるが、その余の主張はすべて争う。
3 同4の事実は否認する。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因5(一)の事実は当事者間に争いがなく、右事実と<証拠>を総合すると、三井仙次郎は明治四〇年以前すなわち、被控訴人主張の区画整理前から本件土地及び甲地を所有していたが、右土地は旧土地台帳上字小丸六二番ロ号田一反の一筆の土地であつて、長野地方法務局小海出張所備付の明治三三年作成にかかる公図上「六二番ロ号」と表示された土地とその位置、範囲が符号するものであること、仙次郎は昭和二七年三月二七日死亡し、その子三井睦夫が相続し(右相続の事実は当事者間に争いがない。)、三井睦夫は右六二番ロ号の土地について、昭和二七年一二月一日保存登記をなしたこと、昭和三八年当時右六二番ロ号の土地は現況は非農地(山林)であつたこと、右睦夫は控訴人新藤に対し、昭和三八年一一月三日一筆たる右土地のうち甲地の部分を代金一八〇万円で、次いで同年一二月一五日本件土地の部分を代金一二〇万円で売却したこと、右六二番ロ号の土地はその地番地目を、六二番一山林と変更のうえ同年一二月二六日睦夫から控訴人新藤に対し所有権移転登記が経由されたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する前掲三井睦夫の供述は採用できず、他の右認定を左右するに足りる証拠はない(なお、被控訴人は旧土地台帳たる乙第一七号証上の六二番ロ号の土地と本件土地とは全く別個の土地であると主張するが、<証拠>からして右主張は採用できない。)。
しかして請求原因4(一)、5(二)の事実は当事者間に争いがないから、右登記簿記載のとおり控訴人ら間に譲渡行為がなされたものと推定すべきである。
そうだとすると、被控訴人の本件土地の所有権取得原因がその主張する請求原因事実のとおりであるとしても(なお、被控訴人は前記六二番ロ号の土地のうち本件土地のもと所有者が仙次郎であることを抗争するが、そのもと所有者が何ぴとであるかの主張立証はなく、仙次郎がもと所有していたことは前記認定のとおりであるから、久吾作は本件土地を仙次郎から譲受けたものと認めるほかない。)、本件がいわゆる二重譲渡の関係に帰着することは明白であるから、被控訴人は、本件土地の所有権の取得につき、対抗要件たる登記の具備なしには、控訴人新藤及び同控訴人から本件土地又はその一部の所有権を取得したその余の控訴人らに対し、これを主張しえないものというべきである。本件土地とは別の久吾作従前所有地の登記簿について登記がなされても、本件土地の登記として無効であることは言をまたない。
二被控訴人の再抗弁2の主張について判断するに、本件全証拠をもつてしても、被控訴人主張の経緯により明治四〇年頃大字板橋字小丸字茶堰の両地区民の間で土地の任意の交換分合等が本件区画整理として行われ、これについて本件整理図が作成されたが、その結果現況と異るところとなつた公簿、公図について訂正の手続をとるべきものとされながら、その手続が全くなされないまま、その後の土地所有権移転については、右区画整理によつて合意されたところに従つて引渡がなされ、登記は区画整理の従前地の登記簿について登記手続がなされるということが行われて来たこと、控訴人新藤は初め三井睦夫から六二番ロ号の土地として甲地を買受ける契約をしたが、登記所で公図等を調べたところ、六二番ロ号の土地は本件土地を含むものであつたので、更に三井睦夫に交渉して本件土地をも買受ける契約をしたことが認められるに止まり、被控訴人のその主張のような本件土地の所有権の取得について、控訴人新藤が、登記なくして対抗しうるいわゆる背信的悪意者に当ると認められるような事情を認定するに十分ではなく(前掲三井睦夫は、三井が控訴人新藤に本件整理図の写を示して本件区画整理により本件土地が三井睦夫の所有でないことを説明した旨述べるが、その写なるものが証拠として提出されていないことと前掲控訴人新藤、原審証人臼田利雄の各供述に照らしてたやすく採用し得ず、甲第一二号証もその作成日からして本件に関する控訴人新藤の知情の点を推認し難い)、また三井睦夫と控訴人新藤との間の本件土地の売買契約には、動機の不法(例えば被控訴人に対する復讐を目的とする通謀)、代価の著しい低廉(なお、控訴人新藤本人は本件土地の代金が甲地の代金より低いことについて一応の説明をなしている)、登記手段の不法等により、公序良俗に反するとして無効たらしめる(最高裁昭和三六年四月二七日第一小法廷判決、民集一五巻四号九〇一頁参照)ような事情を認めるに足りない上、特段の事情の認められない本件の場合、控訴人新藤の後の転得者であるその余の控訴人らは二重譲渡関係について善意であつたと推認されるところ、被控訴人の原審における証人或いは本人としての各供述と弁論の全趣旨によつて認められるように被控訴人は右各譲渡のなされた後にその事情を知りながら農林省から本件土地の売渡を受けたものであることを考えると、被控訴人の右主張は採用することができない。
三本件区画整理の性質上被控訴人が登記なくして本件土地の所有権取得をもつて控訴人らに対抗することができるとの再抗弁1の主張及び他の地番の土地についての所有権保存登記及び所有権移転登記の取得により本件土地の所有権の取得につき対抗要件を具備したとの再抗弁3の主張はいずれも独自の議論であつて採用できず、また三井睦夫の控訴人新藤に対する本件土地の売買契約は昭和四〇年六月頃合意解除された旨の再抗弁4の主張は、これに副う証拠として原審証人吉沢晃、臼田利雄、井出良二の各証言、原審における訴取下前の第一審原告三井睦夫、当審証人三井睦夫の各供述部分が存するが、いずれも前掲証人新藤信次、原審における控訴人新藤の各供述に対比して直ちには採用しがたく、他に右主張事実を認めるに足る証拠はないから、これまた採用できない。
四以上の次第で、被控訴人の本訴請求はその余の点を判断するまでもなくいずれも理由がなく失当であり、これを認容した原判決は不当であるから取消し、本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(田中永司 宮崎啓一 岩井康倶)
別紙<省略>